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日本の社会的インパクト投資は奈良時代から存在した?!

事業レポート

日本の社会的インパクト投資は奈良時代から存在した?!

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社会的インパクト投資の最先端といえば、歴史的に見ても英国を含むヨーロッパ・米国が注目されています。1968年にオランダの銀行員、エコノミスト、コンサルタント、税理士の有志4人が環境や社会的に貢献する金融機関が必要だとして、現在有名なトリオドス銀行が誕生し、1971年から社会的企業に資金調達するための財団を設立するなどして、この業界でのパイオニアの一人ともいわれています。2000年にはイギリスのロナルドコーヘン卿が率いた社会的投資タスクフォースが設立され、イギリスを中心とした社会的投資の市場展開のため様々な財団・団体・企業などが新しく立ち上げられ活動が広がっていきました。この社会的投資タスクフォースは、10年間の使命を終えのちにG8プラスヨーロッパが加わり2013年のG8社会的インパクト投資タスクフォースへと進化していきました。それが、今年の7月に世界各地の新興国が加わって以降、G8と限らずにGlobal Social Impact Investment Steering Groupと名前が変わり、ますます市場の成長の展開が繰り広げられています。

 

さて、日本では社会的インパクト投資というよりも「社会的投資」という言葉がよく使われていますが、日本の社会的投資の歴史経緯とその背景を探ってみました。近代歴史的には、Corporate Social Responsibility (CSR), Triple Bottom Line, Creating Shared Value (CSV), EGS投資、社会的責任投資などが、日本におけるSocial Impact Investmentの背景にあるものとしてみなさんもご存じかもしれません。しかし実は、日本の「社会的インパクト投資のはじまり」が日本人の私たちが知っているような奈良平安期の出来事にあるかもしれないという考えもあるのです。今日はそれについてお話します。

みなさんは行基・空也・行円という名前を聞いたことがありますか。中学・高校の日本史でもしかしたら耳目された名前かもしれません。彼らは奈良・平安時代に「勧進」という行為で活躍していた僧侶たちです。勧進とは、全国行脚して資金のある豪族を説得し、寄付をもらい、そのお金でお寺の建立や修繕のために使う、という行為のことです。そういった勧進を行う僧侶のことを「勧進聖(かんじんひじり)」と呼び、先に述べられた、行基・空也・行円の三人もその勧進聖の代表となる僧侶です。寄付を募り、大仏建造・寺院修繕などの大きな実務を成し遂げてきました。元々は仏教を広め、民が善を成すということが目的でしたが、のちにこういった事業にお金を充当する形になっていったそうです。

投資と日本史に関することで非常に多くのことが書かれたこちらのブログ(作者:吉田喜貴さん)でも紹介されている通りですが、自然災害や合戦などが多かった平安末期も勧進が、当時の身分の豪族から資本・資金を集め、社会の復興にも貢献していったそうです。吉田喜貴さんのブログにも書かれた長部日出雄さんの「仏教と資本主義」の57項からの引用部分である、ココがキーになりますね。

「土地の豪族に資本を出させ、布施屋を建てて粥を施し、集まってくる大勢の窮民の力を集め、唐で学んできた灌漑や土木の新技術を用いて、農業用の池や溝を掘り、堤を築き、道を開き、橋を架けると、土地が潤って、豪族には出した以上の元手が戻ってきます。」

こうすることで、出資した豪族たち(投資家)は「いいことをすれば地獄へ行かなくてもいい」といった自分に対する精神的インパクトのみならず、公共開発・社会への発展(社会的インパクト)、そしてそこから生まれる自分への恩恵(経済的リターン)をすべて満たしています。

と、するならば、これは現代でいう社会的インパクト投資なのかもしれません。

勧進聖は「寄付」を受けて事業をしていた、とされていますが、この勧進聖の説得作法が寄付ではなく長期的視野、忍耐、出資者へのリターンを強調していることから、現代の私たちにも、社会的インパクト投資の市場を広げるにあたって、勧進から学ぶべきことは、実は沢山あるのかもしれません。

ARUNサポートメンバー小野綾

 

参考文献:

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